リンゴ・スター

 指輪が好きすぎることからリンゴ・スターという愛称で呼ばれているビートルズのドラマーです。本名はリチャード・スターキーという名前ですが、おもにリンゴ・スターという愛称で通っています。元々、左利きなのですが、何故か右利き用のドラム・セットを使っています。また、彼は、無名時代からのオリジナルメンバーではなく、途中加入したメンバーです。

 ジョージ・ハリスンなどと同じく、比較的地味な存在として見られがちな彼ですが、彼のドラムス自体はビートルズサウンドの要となっていました。ビートルズのメンバーとしては才能に満ち溢れたジョン・レノンとポール・マッカートニーに比べ地味な存在だったのですが、彼のドラムスはビートルズサウンドの要としてメンバーを支え続けました。また、ボーカリストとしての才能も持ち合わせていて、「ボーイズ」、「イエロー・サブマリン」、「グッド・ナイト」等、リンゴがメインボーカルを務めた楽曲もありました。特にコメディー色の強い曲に関してはリンゴがボーカルに採用されることが多くありました。他には代表曲に「想い出のフォトグラフ」「明日への願い」等がありました。

 今現在の妻は映画『007 私を愛したスパイ』のボンドガールで人気を博した女優のバーバラ・バックで、ドラマーのザック・スターキーが長男です。また、孫にあたるザックの娘ターシャ・スターキーも、ベーシストとして活躍しています。

 ビートルズ解散後も現在までソロミュージシャンとして第一線で活躍しています。

芸名の「リンゴ・スター」とは、ハリケーンズ時代にそれぞれが芸名を考えた時につけられたもの。指輪が好きで、両手にいくつも付けていたので、「Rings(リングス)」と呼ばれていてていたことが元で付けられました。リンゴは「Ringo Starkeyでいくつもりだったけれど、しっくりこなかったのでStarkeyを半分にしてrをもうひとつ付けた」と発言しています。

ビートルズの歴史上、「A Hard Day's Night(とても疲れた日中の夜)」や「Eight Days A Week(週に8日も仕事だなんて)」、「Tomorrow Never Knows(決して明日は知らない)」等、リンゴの発言をタイトルにしたといわれるものは多々ありますが、どれも文法的には正しくありません。ジョンはリンゴのこうした言語感覚を讃えて「Ringo-ism(リンゴ語)」と呼び、「リンゴはときどき、ちょっと面白い言い間違いをするんだよ。文法間違いだとかいうようなのじゃない、ジョークっぽいやつ。これが結構いいネタになるのさ」などと発言しています。

 ビートルズが1970年以前に公式発表した楽曲(一般に213曲とされる)のうち、コンポーザーとしてのスター(=リチャード・スターキー)の氏名がクレジットされているものは5曲(「ドント・パス・ミー・バイ」「オクトパス・ガーデン」「フライング」「ディグ・イット」「消えた恋」)あって、そのうち、彼が単独で作ったものは2曲(「ドント・パス・ミーバイ」「オクトパス・ガーデン」)でした。また、彼がリード・ボーカルを担当している曲は十数曲存在します。また、「僕は皆と友達」「僕の曲はアルバムに最低でも1曲入っていればOK」「人気投票では、全然3人に敵わないけど、『2番目に好きなメンバーを選ぶ投票』だったら、きっと1番になれる」等の発言から窺えるようにビートルズのメンバーの中で最も穏やか、かつ人格者であったことにおいても知られ、彼の存在なしではグループの解散がもっと早まっていたと言われています。

 ただし、リンゴは一度非公式にビートルズを脱退しています。当事者サイドの見解によると、それは1968年のアルバム「ザ・ビートルズ」(ホワイト・アルバム)をレコーディング中のことで、自分のスケジュールを常にほかの3人に合わせ、自由な時間もほとんどない状況で、そのうえ、ポール・マッカートニーがリンゴのドラミングにいちいち注文をつけ、挙句の果てにはポールが自分でドラムを叩き「こういう風にやるんだよ!」と言うと 流石に温厚なリンゴもこの状況に激怒し、ビートルズ脱退を決意。「やめてやる!」と言い放ち、スタジオを後にしたといいます。

 また、その騒動の直前にはリンゴはほかのメンバーは仲良しで自分だけが疎外されていると感じ、ジョンの家へ出向き、「君らは仲良しで僕はのけ者だし、プレイも良くないから辞める」と伝えた。するとジョンは「仲が良いのは君ら3人だよ」と答えた。リンゴはその後、ポールの家へ行き同じように伝えると、ポールも「仲が良いのは君らだろ?」と返事をしました。ポールは後年、「普段は本人を前にして「君が最高のドラマーだ」なんて言わないだろ? だからリンゴは不安だったんだと思う。『君は最高』と伝える必要があったんだ」と語っています。ポールはリンゴのプレイを褒めちぎり、ジョンは励ましの電報を送り、ジョージはスタジオ中に花を飾ってリンゴを迎えた。

ビートルズ解散後の活躍

 ポール・マッカートニーがビートルズ脱退を表明する直前(1970年3月)に、スタンダード・ナンバーを集めた初の単独作品『センチメンタル・ジャーニー』を発売。これを機に、リンゴはソロ・ミュージシャンとしての活躍を始動します。同年12月には2枚目のアルバム『カントリー・アルバム』もリリースしています。シングルでは、自作の「ボークー・オブ・ブルース」や「明日への願い」を発表しました。「明日への願い(イット・ドント・カム・イージー)」と「バック・オフ・ブーガルー」は、ヒット・チャートを賑わしました。ジョージ・ハリスンとの共作曲「想い出のフォトグラフ」や「ユア・シックスティーン」は、全米チャートでナンバーワンを記録しました。リンゴは1970年代前半に、ジョン、ポール、ジョージらビートルズの元メンバーと同様、コンスタントにシングル・ヒットを連発しました。さらに1974年にプラターズのカバー「オンリー・ユー」、75年に「ノー・ノー・ソング」がヒットしました。日本独自のヒットとしては、74年の「オー・マイ・マイ」がありました。

シングルだけではなく、アルバムにおいても彼は成功を収めた。1973年発表の『リンゴ』は全米1位にランクイン。ビートルズ解散より後になって初めて、4人のメンバーが1枚のレコードの中で名を連ねた作品という話題性も手伝ってのことではあっただろうが、いずれにしろ、ここに至って、彼はソロ・キャリアの頂点に達します。ジョン・レノンやエルトン・ジョン、ニルソン等、豪華な作家陣が楽曲を提供し、レコーディングにも参加した次作の『グッドナイト・ウィーン』も前作同様に大ヒット。ジョージが企画して行われた1971年の『バングラデシュ難民救済コンサート』も含め、1970年代前半のリンゴはさまざまな分野で大活躍しました。

日本のコマーシャルに出演している

 リンゴは実は日本のテレビCMにて主演をしています。それも、日本の宝酒造が作った「すりおろしりんご」のCMで、当時は非常に話題になったといいます。

送ったサインが転売されて嫌気がさすリンゴ

 メンバー中唯一サインに応じる元ビートルとしての生活に嫌気がさしたとして、今後のサインとファンレターを拒否しています。これは、今までこうしたファンレターの返事にサインをおくったケースに自身の送ったサインが転売されることが頻発したからとのことでした。

ビートルズとそれからの音楽について