ジョン・レノン

 ジョン・レノンは、ビートルズにおいてボーカル・ギターを担当した人物で、他にも作詞作曲なども担当しておりました。 ザ・ビートルズのリーダーである彼は、ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソングライティングチームを組んでいました。ビートルズの大半の楽曲を製作し、メイン・ボーカルを務めています。ビートルズが解散した1970年からは米国を主な活躍拠点として、ソロ、または妻で芸術家のオノ・ヨーコと共に平和運動家として活躍していました。「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において五位に選ばれ、同誌の「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第38位、「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において55位に選ばれています。ビートルズとしても、またソロシンガーとしても音楽界に多大な功績を残し、死後も絶大な影響を与え続けています。

ジョン・レノン殺害事件

 そんな彼の最期ですが、マーク・チャップマンと呼ばれる人物の銃撃によって幕を閉じます。

 フォトセッションを終えてしばらく自宅でくつろいだ後、17時にはヨーコの新曲「ウォーキング・オン・シン・アイス」のミックスダウン作業のため、レノンはニューヨーク市内にあるレコーディングスタジオ「ザ・ヒット・ファクトリー」へ出掛け、一方、レノン夫妻は「ザ・ヒット・ファクトリー」にてラジオ番組のインタヴューを受けています。この最期のインタヴューで、レノンは新作や近況についてや、クオリーメン時代のこと、マッカートニーやハリスンとの出会いについて語っています。そして、「死ぬならヨーコより先に死にたい」、「死ぬまではこの仕事を続けたい」等と発言をしています。

22時50分、スタジオ作業を終えたレノンとヨーコの乗ったリムジンがアパートの前に到着しました。2人が車から降りた時、その場に待ち構えていたマーク・チャップマンが暗闇から「レノン?」と呼び止めると同時に拳銃を両手で構え5発を発射、4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、彼は「撃たれた! (I'm shot!) 」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れました。警備員は直ちに911番に電話し、セントラル・パークの警察署から警官が数分で到着しました。

警官の到着時にレノンはまだ意識がありましたが、既に大量出血し、一刻を争う危機な状態でした。その為、2人の警官が彼をパトカーの後部に乗せ、近くのルーズヴェルト病院に搬送しました。1人の警官が瀕死に陥っていたレノンの意識を保たせるため質問すると、声にならない声で、自身がジョン・レノンであること、背中が痛いことを訴えたというが、彼の声は次第に弱まっていった。病院到着後、医師は心臓マッサージと輸血を行ったが、レノンは全身の8割の血液を失い、失血性ショックによりルーズヴェルト病院で23時過ぎに死亡しました。レノンの死亡時に病院のタンノイ・スピーカーから流れていた曲はビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だったといいます。

事件後、チャップマンは現場から逃亡せず、手にしていた『ダブル・ファンタジー』を放り出し、警官が到着するまで『ライ麦畑でつかまえて』を読んだり、歩道をあちこちそわそわしながら歩いていました。彼は逮捕時にも抵抗せず、自分の単独犯行であることを警官に伝えた。被害者がジョンであることを知った警官が、「お前は、自身が何をしでかしたのか分かっているのか?」と聞いたときには、「悪かった。君たちの友達だっていう事は知らなかったんだ」と答えた。

病院でレノンの死を伝えられたヨーコは「彼は眠っているということ?」と聞き返したといいます。後に病院で記者会見が行われ、スティーヴン・リン医師はレノンが死亡したことを確認し、「蘇生のために懸命な努力をしましたが、輸血および殆どの処置にもかかわらず、彼を蘇生させる事はできなかった」と語りました。

レノンの殺害に関して、レノンの反戦運動やその影響力を嫌った「CIA関与説」等の陰謀説も推測されたが、公式には単独犯行として結論づけられています。犯人はニューヨーク州法に基づいて仮釈放の確率がある無期刑の判決を受けた。チャップマンは服役開始から20年経過した2000年と、その後は2002年、2004年、2006年、2008年、2010年、2012年、2014年と2年ごとに仮釈放審査のターゲットになったが、本人が反省していない、再犯の確率が高い、遺族が強く反対している、釈放したらレノンのファンから復讐で殺される確率がある、等の訳でいずれも仮釈放申請を却下され、2014年時点で服役中でした。

ジョンレノンの性格

 平和主義者として語られることが多い彼ですが、比較的過激な発言が多いことでも有名でした。英国王室主催の「ロイヤル・バラエティ・ショー」に出演の際に客席に向かって、「安い席の人は拍手を。高い席の人は、身に付けた宝石をジャラジャラ鳴らして下さい。」と発言して問題視されたり、キリスト教批判とも取れる内容の発言をしたことにより、強い批判に晒されていたりといったこともありました。また、エルヴィス・プレスリーとの強い確執があり、プレスリーから「君たちのレコードは全部持っているよ」と言われたのに対して、レノンは「僕はあなたのレコードは1枚も持っていない」などと発言しその場を凍りつかせたり、その後もプレスリーが出演する映画に関して批判を繰り返したりなど、少々空気がよめないところがあったそうです。

ジョン・レノンの噂

 どうやらジョン・レノンはADHD(注意欠陥多動性障害)だったのではないかと言われているそうです。ADHD(Attention-deficit / hyperactivity disorder:注意欠如・多動性障害)とは、年齢や発達に不つりあいな不注意さや多動性、衝動性を特徴とする発達障害なのですが、ジョン・レノンの空気の読めなさと人の心を理解していない様や、天才的な発想などはまさにそのきらいがあり、一部では、本当にそうなのではないかと疑われています。

ビートルズを脱退してからの活動

 ソロ活動として様々な曲を発表していましたが、『イマジン』以降の『マインド・ゲームス』『心の壁、愛の橋』『ロックンロール』といったソロ後期に発表された楽曲は興行的にはそれほどふるうこともなかったといいます。勿論ポールの楽曲と比べてという話にはなりますが。

ビートルズとそれからの音楽について